レジメの作成と発表分担
11月15日、サバティカル(在外研究)でLAに来て以来、
2度目のセミナー発表をUCLAで行った。
2014年にヨーロッパで発表したテーマを、
この夏からマリアと再度、もう一度掘り下げて共同研究している。
以前には、わからなかったことが今回新しく多く見つかり、
一気に研究が進んだと思う。この夏の共同研究は
とても楽しかった。その楽しさは、今も継続中だ。
前回フィールドワーク系のセミナーで
発表した時とは違って(この記事参照)、
今回は統語論(文法)意味論を専門とする人たちのセミナーだ。
作成するレジメも分析を含め、レベルアップする必要があった。
レジメの作成は、いつもの通り、私がたたきだいを作り
彼女がコメントを加え私が直す。
そう言えば、今回、彼女のコメント部分を、
もう直したからと、勝手に消したら、
「絶対消すな、そのまま残せ」と結構きつく繰り返し言われた。
今回は彼女が分析の部分の発表を担当することにしたので、
その部分のレジメは彼女が作成。
あきらかに別々の人が作った感じがして、
イマイチ気に入らないが、時間もなく仕方がない。
結局、レジメを作成するのに前日、夜中の2時までかかり、
発表は、日本語のデーター紹介を含めた前半を私(35分)、
後半をマリア(15分)という分担に。
セミナー発表一人反省会
マリアとは結構感想が異なる。彼女はかなりポジティブなので、
セミナーの一人反省会をここで試みたいと思う。
私の視点(1):トラブルと反省点
発表のレジメを自分たちでコピーせず、
人に頼んだばかりに、コピーが仕上がるのに時間がかかり、
開始が遅れた。また、発表を始めて少しして
両面印刷の原稿の片面しか印刷されていないということが判明し、
コピーを取り直している間、発表を中断しなければならなかった。
大御所のマリアが人に頼んだのだが、やはり自分たちの発表は、
誰であろうと自分でレジメを準備するべきだと思う。
今後は絶対そうすると決めた。私は発表は完璧にやりたい。
次の後悔は、発表を始める前に、発表中の質問は
発表説明の仕方や、データーがわかりにくかった場合の
説明を求めるものに限る(Clarification questions only)
と言っておかなかったこと。
日本語の可能表現に関する発表だったが、
(ex. このカフェは美味しいコーヒーを飲める)
英語に直訳できない文が多かった。
(非文:*This cafe is drinkable tasty coffee.)しかも、
日本語では言えない表現(非文:*この刑務所は囚人に逃げれる。)
を言える表現より先に紹介することにしたため、
かなり混乱が生じて質問が相次いだ。
また、両面コピーがされてないことに気づく直前に、
さらっとながしたい内容を説明していたため、
コピー取り直しの間、その説明に時間をかけすぎ、
質問がでて、議論に発展してしまった。
最終的には、私が、
「今回の発表でそこは重要なポイントじゃないし、その議論は
ここでやめて、みんなが手元にあるレジメのページにとぼう。」
と議論を遮った。ちょっと無礼だったかもしれないが、
結果的にはそれは賢明な判断だったと思う。
もっとすぐに、その判断をすれば良かったとは思うが。
というわけで、私としてはそれほど後味がいい発表でもなかったし、
達成感も得られなかった。clarificationの質問が相次ぐというのは、
発表・レジメが分かりにくいということだと思う。
インド人の元アドバイザーは、
「難しい内容でベストを尽くしたと思う。他にどうやれって
言っても、ああいうふうにしかできなかった思う」
と言ってくれたが。私的には、前回のとは違い、
今回の発表は、満足のいくものではなかった。
マリアと私、お互いの発表の部分に口を挟んだり、
質問にも二人がちょっと畳み掛ける感じで答えたりしたのだが、
それも、聞いている人からはどう映ったのかな、、、と思う。
ちょっとやり過ぎ感、too muchだったのではないだろうか。
マリア視点からの振り返り
私は、元来、楽観的でポジティブ思考、
リスクテーカーだと思うが、マリアといると自分は、
かなりネガティブな気がする。上記の反省においてもそうだ。
ちょいちょい私がネガティブなことを言い、また言いかけたら、
「何を言おうとしているのかは、わかってる。
そういうのはやめなさい。私はそういうの嫌いだから。」と言われた。
今回の発表は、マリア視点から見ると、
とてもうまくいき大満足だったようだ。
発表が終わると、私にブラボーとささやいてきた。
私のいた時代の先生たちで、
マリアの元同僚たちが多く来てくれて、
(それは私もうれしかった)みんなが積極的に質問し、
議論に参加した。そして、とてもリラックスした、
いい雰囲気でセミナー発表をおこなえた(それは同感)。
あとは、私が言い間違えて説明した部分があり、
そのため、彼女が口をはさんだのだ、と言われた。
それでも、発表の最初から全部の例文を
日本語で読み上げたことは、聞く人に考える時間を
あたえることになってとても良かったとのこと。
それはルイに大学院時代にやれと言われたことだ。
いい先生たちを持ったお陰だ。
私の視点(2):良かった点
上記に述べたように、いろいろ細かな反省点はあったが、
マリアの言う通り、セミナーは和気あいあいとした
雰囲気でとても良かったと思う。
私は前日あまりよく寝れなかったために、
かなり疲れていてイマイチテンションが
あがりきらなかったが、それでも、発表はいつものように、
緊張することもなく、情熱的(passionate)に行えたと思う。
そして、マリアと私のセミナーでのやり取り、
そして私と他の年配の先生たちとのやりとりは、
若い大学院生たちのいい見本になりいい刺激を与えられたと思う。
自分たちの先輩で以前は学生だった人が、
時を経て、今度は先生たちとある意味同じところにたち
(本当は、そうでもないけど)、共同研究し、
和気あいあいと言いたいことを言っているのだ。
このセミナーは学生たちが緊張したり、
怖がったりして発表する必要はなく(non-threateningと
マリアは表現)先生たちや他の学生たちと楽しみ
フィードバックを得るための場なんだということが、
見せられたと思う。
それに、みんながいろいろと質問してくれたおかげで、
どこがわかりにくかったかが知れて、
レジメを手直しすることができた。
あと何ヶ所かで発表したいと思っているので、
みんなからのフィードバックは今後の発表のためにとても役に立つ。
まあ、マリアと一緒に前にでて発表したのは
初めてだったので、とてもいい思い出になるだろう。
さて、これから、何をする?
さて、次の段階は、当然、論文の執筆だ。
発表が終わった日の夜、すでに、マリアに、
’I think you are ready to write it up.’
「あなたは執筆する準備ができてると思う」と言われた。
なるほど、そこはYouときたか、weじゃないのね。。
まあ、当然、私がドラフトを書き彼女が大幅に直す
学生時代からのいつものパターンだ。
それでも、前半私、後半彼女という、統一性にかけた論文よりは
一人が全部を書いた方がいい。論文は、書いた人の個性がとても現れる。
正直、彼女の文章は硬く、読みにくい。
私のは、多分柔らかく読みやすいと思う。
先生と一緒に住んでいると、、。
そして、翌日の朝(今朝だが)マリアに、
‘I think we should write a squib.’と言われた。
(問題を提議した短い論文、20ページ程度)
論文を書くのは、なんといっても取り掛かるのが苦痛だ。
でも、少なくとも、’You’が’We’になっていて良かった。
研究という点では、一緒に住んでいて良かったとも言える。
今日くらいは、休憩していても許されるだろうが、
やらないわけにはいかなくなる。ただ、今日でさえ、
「何してたの」と食事の時に聞かれたら、ちょっと困る。
簡単に私が何をやっているか、また、やっていないか把握できる。
(これも当初一緒に住むのは躊躇われた理由だ)
先生はやはり先生なのだ。大学院時代から、
私を追い込むのは、彼女の得意としているところである。