イラン人の友人

@ロサンゼルス

昨日こちらで新しくできたイラン人の友人、エラと、
飲みに行った。
今彼女はUCLAで意味論を教えている。
目がとても魅力的な素敵な女性だ。

私のような年になると、新しい友達ができた時に、
現在の自分の生活については話しても、
あまり自分の幼かった時のことや、若かったときのことなど
話すことはしない

考えてみれば、ママ友たちの初恋や付き合った人の話などは
聞いたことがあるが、ほとんど、結婚後、子供が出来てからの話で、
その前のお互いの生きてきた人生についてなどは、
話したことはないと思う。

私にとって、大学院生活や言語学、学者としての自分は、
自分という人を語る時にはずせない
しかし、日本の友達はその世界を知らないし、
どう説明すれば伝わるのかよくわからず、話したことはない。

しかし、エラと昨日、幼かった時のことから、
今までの人生いろいろ語りあった国が違っても、
こんなにいろいろ分かり合えたり、共感できるのだから不思議だ

エラのはなし

エラの両親は、彼女が生まれた時はものすごく貧しく、
食べ物も十分にない状態だった。
母親は17歳、父親が20で結婚して彼女ができたらしい。
お父様と叔父様は戦争に行き、その戦争で叔父様が亡くなり、
父親が家長となり、叔父の子供達の面倒も見ていた。

お父様は自分を愛してはくれていたが、
ものすごいセクシスト(女性蔑視)だったという。
まあ、想像できることだ。

お父様は貧しさから抜け出そうと、必死に働き
商才もあったため、彼女が高校生になったころには、
お金持ちになっていたという。エラは極貧の状態も
お金持ちの状態も経験したのだ。すごい経験だ。

小学生のころは、友人が学校にお菓子を持ってきても、
彼女は持っていくことができなかったし、
たとえ友人がくれようとしても、プライドが高く、
自分は断食期間だからといって決してもらうことはしなかったという。

そして、大学時代に同級生と結婚したが、
その夫はDVでとても酷い目にあったらしい。
その後その当時のご主人とアメリカにきた。
ずっと別れたかったが、別れられず、ものすごく苦労したという。

ところで、先日私はゴミ箱を通りから家に回収する際、
滑って転倒し地面に強く額をぶつけ、
顔にその後3ヶ月くらいのこる青あざができた。

それを見て、「今ひとりだから、よかったわね!もしご主人がいたら、
たとえ転んだといっても、誰も信じてくれないわよ。」
といって笑っていた。DVの夫と暮らした彼女ならではの発言だ。

大学院に通い始めた1年目に25歳の弟が一人で登山中
行方不明になり10日後に遺体で見つかった。
寝ている間に心臓発作を起こしたとのこと。

ご両親も彼女も悲しみにくれている中、
そのDV夫は、傷口に塩を塗るかのように、
弟のことを悪く言ったという。その時、何があっても
別れると決め、離婚に踏み切ったらしい。

これまでだけでも、どんなに大変な人生だったかわかるが、
その大学院1年目におそらくヘルニアのせいだと思うが、
腰痛で歩くのが困難になり、hip replacement(人工股関節置換手術)
の手術を行ったという。その際に血の塊が心臓に飛び、
心臓発作を起こし、また手術し、
なんとか助かったという経験をした。
どれだけ大変だったのかと思うと、言葉がでてこない。

あとは、大学院でのアドバイザーとのいざこざなど、
大学院生ならみんなが経験するつらいことがあったりした。
私の先生達は、大学院生達はそんなに
一生懸命やらなくても良くて、気が楽でいいわよね、、というが、
当の本人達は、ちっとも楽じゃない。

競争心むき出しの環境の中で、大学院という場は、
自分の人としての一番嫌な面を引き出すよね、と言って、
エラと大いに盛り上がった。まったくその通りだ。
あの頃の私は、おかしかったと思うし、嫌な人だった。

そんなすさまじい人生を送ってきた彼女だが、
今はとても幸せだ。その後、スエーデン人の外交官である
今のご主人とめぐりあい、遠距離ではあるが、フェミニストのご主人と
幸せな結婚生活を送っているのだ。

私も日本人女性としては、かなり紆余曲折のある人生を送ってきたと思うが、
彼女ほどではない。またその話は、別の機会にしたい。

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