チームで行う研究
理系や実験が必要となる研究は大概チームで行い、
共同研究者やらリサーチアシスタントらがいる。
会社でのプロジェクトをチームで成し遂げる、
というのと同じ感じである。
ボストン大学でのリサーチアシスタントの仕事
以前ボストン大学にいたころは、実験が必要なプロジェクトに
かかわっており、その研究チームの一員だった
今思えばとても楽しい貴重な経験だった。
みんなで、ディスカッションを重ねて、
異なる視点やバックグラウンドから
アイディアを出し合ったり、さまざまな仮説をうちたてるうちに、
新しいことに気づき、いろいろな発見ができたのだった。
やはり、共同研究というのは、楽しいし、すばらしい。
一人でできるものが1+1=2となるのではなく、
1x1が、3にも5にも10にもなるのだ。
また、みんなで出張に行くのもとても楽しい。
知らない土地のレストランで夕食を一人で食べなくていい訳だ。
私はボストン大学時代のプロジェクトチームみんなで
オランダのMax Plank Institute という有名な研究所に
出張にいったことがある。とてもいい思い出だ。
息子がまだ生まれて数ヶ月で、息子をつれてオランダにいき、
私たちがミーティング中は、ベビーシッターを雇ってみてもらった。
記憶は定かではないが、プロジェクトの予算から
ベビーシッターも雇っていただいたのだと思う。
その頃は、母乳で育てていたため置いていけず、
「大きくなってより、乳児の時の方が、楽よ!」
と言われてい連れて行ったのだ。
長女を夫とボストンにおいて行ったため、
「トラウマになった」とそのあとあとまで、
娘によく言われたものだ。
二人目の子供だったとはいえ、今考えると、
「よくやったな、、自分」と思う。
二人目を妊娠出産しながら、修士論文を書き、
キッチンで論文を書いている私の周りを
4歳の長女が飛び跳ねていたのをよく覚えている。
ボストンでのリサーチアシスタントの仕事は、
日本人のアシスタントが
必要だということでたまたま日本人だった私に声がかかったのだ。
アメリカにきてすぐだった私は訳もわからず
参加させてもらったわけだ。
カナダ人、トルコ人(二人)、日本人、イギリス人がメンバーで、
その日本人の先生のアシスタントとして私が参加したのだ。
本来は、代表である学者たち3人だけでの
研究発表、執筆予定だった。そして、アシスタントの3人は、
ただのアルバイトでデーターのコーディングだけが仕事のはずだった。
しかし、私たちが気づいたこと、発見したことも多く、
それを論文に書く際に、いちいち私たちを
引用しないといけない(海外はその辺、ちゃんとしている)のが面倒だ、
ということで、アシスタント全員が
共同研究者という位置付けに格上げされたのだ。
アメリカは能力があればそれを正当に評価してくれるのがいい、
しかしその逆もまたしかりだ。
大学院生は、わりと簡単に首になる?
UCLAのうちの学部では、わりと簡単に学生の首が切られる。
先日、元アドバイザーのマリアが、
出来の悪い大学院生の話をしていたので、
「でも、先生たちは、すぐ首をきるじゃない、
その学生は、やめさせなかったの?」と聞いたところ。
「そう、よく辞めさせるし、私は一度決めたら
二の足を踏むことはない。」(マリアはそういう人だ)
「でも、心が弱い(weak heart)人もいて、
セカンドチャンスをあげようとかなんとか言いだして、
その子を辞めさせなかったのよ」と言っていた。こわ。。
で、その心の弱い人は、私のインド人のアドバイザーなのだが。(笑)
まあ、彼は優しいし、私は彼のそういうところが好きだ。
私の同期も、半分は途中で辞めたり、辞めさせられたした。
その人たちは、その後、若くして高校の校長先生になったり、
弁護士になったり、写真家・詩人になったりとさまざま。
みんな言語学が合わなかっただけで、間違いなく優秀で、
才能あふれている人たちだった。
早くに進む道を変えられて
かえって、よかったのかもしれない。
人生は、何が正解かはよくわからない。
共同研究をするきっかけは?
話を共同研究にもどそう。
私がボストンで共同研究に参加した経緯は、ちょっと特殊だ。
おそらく普通は、友人同士が共同研究するケースが
一番多いと思う。
また、同じことに興味を持っている人たちが、
学会、研究会などで意気投合して
共同研究をする場合もある。
簡単な話のように聞こえるが、
私は今までにそんなふうに簡単に話が運んだことはない。
私の現在専門としている分野は、一人でやろうと思えば
一人で研究できる分野だ。
他の学者たちと時間や都合をすり合わせたりする煩わしさもなく、
楽は楽である。しかし、とても孤独でもある。
今回の、サバティカルで改めて実感したのだが、
私は性格からして、一人で研究に没頭するより、
人と一緒に研究するほうが向いているようだ。
共同研究者を見つける難しさ
私には、残念ながら、研究仲間とよべる人たちがいない。
日本で大学院に行かなかったために、
日本で同じ分野の研究者の友人がいない。
また、アメリカの大学院時代の友人や先輩はいるが、
みんな優秀すぎて、偉い大学の先生になっていたりで
ちょっと手が届かない。
彼らは楽しみながら研究したいなどとは思っていない。
高いプライドを持ち、本気で研究と向き合い、
いつも自分の名前をあげようとしている。
私は理想を言えば、楽しみながら、
分け合い合いと仲間と研究し、海外で学会発表を行うついでに、
仲間と一緒に海外旅行もできたらいいと思っているクチなのだ。
なので、友人のいないそんな私が、
新たに研究仲間を見つけるためには、
学会などの機会に、短時間で
この人は優秀で一緒に研究すれば自分の特になる、
と人を魅了する必要があるのだ。
もしくは、すでに発表している業績で有名人で
人にぜひ、一緒に研究したいと思われており、
人がどんどんよってくるとか、、
人のあこがれの存在になるか、などだろう。
まあ、それはそれで、知らない人に
いろいろ寄ってこられたらいやだろう。
論文の査読もどんどん頼まれるようになるし、
仕事も責任も多くなり、それはイマイチパスだ。
また基本的な、ベースにある研究の方向性が違えば、
それでもうダメだ。
私が日本で共同研究者を容易に探せない理由はそこにもある。
私の研究は日本にいる学者からみると、革新的で、ユニークなので、
一緒にやりたいと思う人は非常に、少ないようだ。
人としては、フレンドリーだと思うし、
つきあいやすいと思うのだが(笑)、研究内容からして
変わっている人だと思われているのかもしれない。
それこそ私のママ友たちとの月一回の集まりのように、
学生時代から気の合う仲間と共同研究をしたり、
卒業してもプロジェクトを一緒におこない
定期的に会い続けるというのが一番の理想だ。
私はちょっと遅いが、まだ大学院生の諸君、
仲間作り大事にしてください!
いい友人同士で、お互いが好きであれば、
多少のことは乗り越えられるだろう。