あらためて気づく
日本で、1週間同じ同じスケジュールをこなし、同じ人たちと会い、
ルーティン化された毎日を送っていると
当たり前になっていて気付けないことがたくさんある。
それが、海外で一年間暮らすことで、
あらためていろいろなことに気づかされる。
環境問題
毎年日本は、暑くなり、突然の豪雨や大雨に見舞われることも多く、
その度に地球温暖化が進んでいるのだと実感し怖くなる。
しかし、そこで具体的に何を自分ができるのか考えて、
行動に反映させることにはつながっていかなかった。
私がやることといえば、せいぜい買い物に
マイバッグを使うことや、お弁当を購入しても、
箸はもらわず、自分の箸を使うことなどだ。
娘がプラスチックを使わない生活に
チャレンジをしている人のYouTube 動画をみたりしていたので、
そういう生活をしている人がいるのは知っているが、
自分がプラスチックを使わない生活を
送るなど考えたこともない。
どういうことに関心を持つかは、
自分がどんな人たちと付き合っているかも
関係があるのだと思われる。
日本でのママ友や、友人たちとは、環境問題について
話したことはない気がするし、そういったボランティアに参加しよう
などいうことにはならない。
ママ友たちと、毎回何をしゃべっていたのかというと
こどもたちの近況を話し、他のママ友の恋バナをきいたりで
わりと狭いトピックに話は限られていた。
たとえば、AIが世の中に与える影響やなくなりそうな仕事
といったようなトピックは話にあがってこない。
一方、アメリカで一緒に最初に住んでいたポリーは
環境活動家で、次に一緒に住んでいたマリアも環境に対する関心が高い。
そして大学時代の友人であるサンフランシスコに住んでいる友人も、
意識が高かった。まあ、こういったことは、家での暮らしぶりをみて
はじめて気づくことなのかもしれない。
プラスチックを極力排除する。徹底した節水を心がける。
(なるべく)肉を(特に牛肉)食べないなどなど。
地球に優しく生きることを考えている人たちと
アメリカで知り合い交流し、そういうことの大切さを実感。
偶然そういう人たちにあったというわけではない。
ある程度金銭的に恵まれている人たちは、わりとみんな
そういうことに対する意識が高いようで、であった人の多くが
そういう意識をもっていた。
プラスチックの使用
アメリカで付き合っていた人たちは、
かなり金銭的にも恵まれ、知識人たちだった
というのもあったのかもしれないが
ポリーはスーパーで野菜を入れるのに使う薄いビニール袋も
必ず洗って、干して再利用していたし、
サランラップも家になかった。
私は切った野菜や、残った食べ物をラップで包んでおくのは
当然だと思っていたので、そのまま冷蔵庫に入れているのをみて、
少々カルチャーショックをうけたものだ。
しかし、少したつと、確かに、乾燥はするが、
でも、それはプラスチックを使うのを考えると
比べると大したことではないように思うようになった。
簡単に慣れるし、意識が変わるものだ。
水不足
そして、水だ。今のところ日本は、うちの夫を含め
水が豊かな国だと思っている。いや、本当にそうなのだろうか?
地球の地下水は毎年着実に減っていて、
多くの国が水不足に悩んでいる、その中、本当に日本は
水を無駄遣いできるほど水に恵まれているのだろうか。
日本が水不足に苦しむ時が近い未来に来るはずである。
マリアの家では、洗濯をするのもシャワーを毎日使うのも気がひけた。
牛肉
そして、日本人にとっていちばん生活様式で
変え難いのは肉ではないだろうか。
気づかなかったが、とにかく日本人は肉食なのだ。
マリアたちに料理を作ってあげようと思っても、
たいてい少しは肉が入っている。肉なしでお好み焼きを
作ったりしたが、私の得意料理は「肉じゃが」や、
「キャベツの肉巻き」などなので肉なしだとその料理にならない。
しかし、さんざん食肉用に飼育されている動物が
どういう状態で飼育されているか、その動物の解体に
児童が血まみれになった状態で働かされていることを
散々聞かされるとさすがに肉を食べることに
罪悪感を感じるようになる。
それでも鳥や豚を食べないのは、とても難しい。
そして、牛は最悪だ。飼育するのに莫大な水を
必要とするし、多くのメタンガスを発生する。
これらは新しく気づいたことで、
自分の食生活習慣について考えさせられるきっかけになった。
金銭感覚、お金の使い方
学者としてだけでなく、私はマリアを人として尊敬している。
自分のお金を何に、そして誰に使うのかがはっきりしている。
自分の軸をしっかり持っていて、その基準に従って
お金を含め様々な選択をして日々暮らしている。
お金は持っているが、お金に無頓着ではないし、
無駄遣いをするタイプではない。普通に損をしたり、
理不尽に高いものには文句を言うし、得をすれば喜ぶ。
そういうところが私と金銭感覚が似ていて一緒にいて安心できる。
一方、これは大事だ、サポートしないと、残していかないと
と思うと高くてもお金を使う。
例えばオンライン配信の新聞と家に配達される新聞。
前者の方が当然安いが、地域の仕事をサポートしたいので
マリアは家に配達してもらうほうを選んでいる。
私の面倒をみてくれるのもそうした気持ちからだろう。
お金がある人は、お金がない人の気持ちが分からなかったり、
金銭に対する感覚がずれていることがある。
ポリーはそれがあったと思う。
たとえば、私に頼んでコーヒーを買ってきてもらっておきながら、
あとでいくらだった?の一言もなかったり、
鳥用の「とうもろこし」などもお金を渡すことなくお使いを頼む。
私も当然、そのくらいの金額を請求するつもりはないが、
それでも、「いくらだった」の一言があるのと、
まったく聞かれもしないのとでは、ちょっと私の気持ちは異なる。
その点マリアはポリーとは違う。マリアの家では、
家のみんなで一緒に食べるのでスーパーに私が買い物にいって、
ちょっと金額が張りそうな食料品を買ってくると、
彼女は気にしてくれる。
買うものによっては、お金を事前に持たせるし、
お使いを頼むときには金額が高そうなものは頼んでこない。
それに、マリアの場合はほとんどの生活にかかるお金は
彼女が出してくれているので、もともとポリーとはわけが違うのだが。
まあ、親しい間柄と、ただのハウスメイトというので
お金の関係もかわってくる部分があるのだが、
ポリーとはただのハウスメイトで
こっちは家賃を払っているのだから、それこそ
ちゃんとしてもらいたい。
医療
アメリカ、そしてカナダに行っていて気づいたのが
日本は医療的にはものすごく恵まれていると言うことだ。
アメリカなどでは、緊急性がなさそうな体の不調があった場合に
検査をしてもらえるのは、3ヶ月先くらいになることが普通のようだ。
ロスで知り合った大学の先輩が、日本に来たときに
お母様の病院巡りにつきそって
日本の人が簡単に病院に行くことに、そして数分程度の診療のために
何時間も待つという状況にびっくりしたと言っていた。
すぐに病院で診てもらえるのはいいが、
日本の人は病院に行きすぎなんじゃないか、、と言っていた。
確かに。私も、アメリカに行くことで、
いろいろ通っていた病院にもいかなかったが、
病院に行かなくなって、時間的にも金銭的にも
自由になった気がした。
できることなら、日本でも極力病院にはいかないように
できたらいいなあと思うのだが、調子が悪いとすぐ不安にかられ
病院にいきたくなってしまう。
病院に行く時間とお金を、運動にまわしたいものだ。