エラと話すのはとても楽しい。
私たちの話題にあがることは大抵同じだ。
それでも、とても楽しい。
エラと私の共通点
今回の記事とかなり、内容がかぶってしまっているが、
彼女との出会いはこちらの記事で。
エラはイラン人女性だ。日本もまだ男女の地位が
同等とは言い難いが、それでも、イランとは
比べものにならないくらい状況は良い。とはいえ、私も彼女も女性で、白人ではない外国人で、
英語が母国語ではない。アメリカにおいては、マイノリティーである。
そして、アメリカに留学に来て、とてもいい大学院で博士号をした。そして、私もだと思うが、彼女もADHDで、
とにかくよくものをなくすらしい。私と同じだ。笑
エラも私もバックグラウンドに共通点がたくさんあり、
白人の特権階級(white preverige)の人たちとは、
一味も二味もん違う人生を送ってきた。
お互いの気持ちがよくわかり、寄り添い会える。
エラの人生
まだ30代だが、なかなか厳しい人生をエラは送ってきた。
彼女は、ご両親が17歳と21歳の時の子供で、
当然二人とも高卒である。
彼女が大学院に入ってすぐ、家族にとって
太陽のような存在の弟が山で遭難し亡くなった。
そのあと、ひどい鬱病を経験。家族みんなが悲しみに暮れた。
彼女は当時、大学で知り合ったイラン人のひどい
モラハラなご主人と結婚しており、離婚をしたくても、
なかなかできない状態にいた。
イランに住む彼女のおばは、40代だが
すでに孫がいて、夫と対等に会話をするなど
考えられないというらしい。そのような環境なら
離婚が難しいのは容易に想像がつく。
やっと離婚する手続きがすすめられるようになっても、
今度は、ご両親のひどい反対にあう。そりゃそうだろう。
離婚などという選択肢はご両親にはないはずだ。
彼女は、すでに弟の死に
深く傷ついているご両親を、これ以上は傷つけたくない一心で、
必死に説得し、ひどく苦労したらしい。
困難は続く
そして、やっと離婚が成立しても、まだまだ困難は続くのだ。
今度は、大学院でアドバイザーとうまくいかない、
この大変さは、大学院に行ったことがない人にはわかってもらえないと思う。
そして、そのアドバイザーこそが彼女を紹介してくれた
私のUCLAの親しい友人である。本当のことは、話を両者から
聞かないとわからないので、その話は今回はおいておこう。
しかし、そのころ彼女は腰に故障をきたし、歩行が困難になる。
そこで、年配の人の多くが受けている人工股関節置換手術
(hip replacement)を受けることに。しかし、その手術のせいで、
心臓発作がおき、一命をなんとかとりとめたという大変な試練を経験。
その若さで、これだけのことを経験している女性を私は他には知らない。
やっと人生好転
ここでやっと彼女の人生も好転する。
今、彼女は、スウェーデン人の外交官と結婚し、
今後5年間の大きなグラント(研究するための金銭的支援)
も獲得し、プライベートも仕事もとても順調である。
彼女は大学院を出たばかりだが、授業もとてもうまいし、
研究も評価されている。おそらく、今後すばらしいキャリア
が待っているだろう。それが私は友達としてとてもうれしい。
私たちが話すことは冒頭でも書いたように、わりといつも同じだ。
そして毎回、彼女と会うとセラピーに行ったかのように癒やされるのだ。
彼女との時間が、私にとってはかけがえのない時間になっている。
その話はこちらの記事で。私の滞在もあと2ヶ月となったが、
なるべくたくさん彼女にあっていろいろ話ができたらと思う。
そして、今後の課題は、遠距離になっても
どうこの友情をつないでいくかだ。