トロント滞在日記ー学者の苦悩

UCLA

トロント大の歴史学者

トロント大学で歴史学の教授をしているゆりさんの元彼にあった。
その日は、一緒に肉まんを作るという企画。初めての自家製肉まんで
楽しく、おいしいディナーになった。

お母さんが韓国人で、お父さんが日本人という彼。
そして、逆にお母さんが日本人で、お父さんが韓国人という
ゆりさん。文化的にも、食文化的にもとても一緒にいて
ほっとできるとゆりさんはいう。

この一年、アメリカで暮らしてみて、食文化の違い
厳しいものがあると思ったので、彼女の気持ちはとてもよくわかる。
彼女はトロントで暮らしているが、やはりアジアンカルチャーの
人といると安心できるという。

確かに、白人社会で暮らすのは、なかなかつらい時がある。

驚いたのは、彼は近代日本史が専門だということだ。
韓国、日本のバックグラウンドを活かせる専門で
あると同時に、とてもメンタル的には、きついのではないかと思う。

お父様も歴史学者で、彼が避けてた分野にまっこうから
飛び込んでみたかったという。
ファザーコンプレックスが少々伺える

コンプレックスと学者の苦悩

その彼とゆりさんと、食卓を囲み、色々話しているうちに、
なんだか私の悩み相談になってしまった。

私が日本にいたころ(ってついこの間だが)、
研究がすすまないために、慢性的なストレスに
陥っていて、体調にまで影響がでていたことを話した。

人それぞれ事情が違うのだから、
人と比べることは意味がないと言われた。

確かにそうだ。つい人と自分を比べて落ち込む。
その話は、この記事でも話している。

私は日本にいて、UCLAの先生たちのように、
いつも言語学者に囲まれるという
リサーチフレンドリーな環境にはいなかったし、
二人の子供を育てていて、日本語のネーティブスピーカーで、
英語はネーティブではない。

そして、金銭面でも、一家の大黒柱なのだ。

それを、置かれている状況や抱えているものが
全く違い、
ばりばり研究して出版している人と
自分を比べるのは無意味だと言われた。

彼がいうように、確かに、人それぞれ事情が違うのだ。
自分を責めてばかりいて、追い込んでいたと思う。

自分は本当に、限界までがんばっているのか?
もっとやるべきなのに怠けているだけなのではないか?
まあ、そうかもしれないが、それでも、私には
そうしかできなかったのも事実なのだ。

体のためにも、もっと自分に優しくならないといけない。
自分が達成してきたことではなく、
できなかったことばかりが気にかかるのだ。

本を出版する

そのうち、本を出版する話になり、学者として本を出すのが
彼のお父様の悲願だったらしく、
自分がその夢を代わりにかなえることができて、
とてもうれしかったという。

そして、出版してみたら、意外に
たいしたことじゃない、と思ったらしいのだが、
それでも、本を出版したことを誇らし気に話していた

でも、自分の元アドバイザーから、次の本はいつ出すんだと
プレッシャーをかけられるたびに、自分のペースでやっているんだから
ほっといてほしい、、と思うとのこと。

本を出すことの意義は正直、あまり考えたことがなかった。
学術雑誌に出版するのは、かなり大変で私の場合は、
出版できたためしがない、一方
本の出版はわりとスムースにすすんだのと、先輩たちもみな博論を本として
出版していたので、それが当たり前だと思っていた。

しかし、今回ゆりさんの元彼の話を聞いたり、
マリアの私の本を話す時の興奮度合いを見ていると、
本を出版することはとても意味のあることだったのだと
改めて思わされた。

確かに、自分が死んでも、この世に自分の名前で出版された本が
残るというのは、自分が生まれてきた意義の一つ
という感じがしないでもない。

本が出したくてしょうがない人
の気持ちもわかる気がする。

人にいいながら、自分に言い聞かせる

そして、友人の元彼は、一連のことを
自分に言い聞かせるように私に話していた。
この人、私と同じ劣等感を抱えているんだ、とピンと来た。

しかも、ある意味、父親との関係が絡んでる分、
私より根が深いかもしれない。
とにかく、彼は、私に言ったことを、自分にいつも
言い聞かせているんだ、という印象を受けた。

私だけではない。友人のエラもいっていたが、
いい大学に勤めていて成功しているようにみえる人でさえ、
多くの学者が、そういったいつも追われていて
insecure(不安)な気持ちを抱えているわけだ。

エラがいつもいうように、学者というのは
ストレスに給料が見合っていない、辛い仕事だ。

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