アランの兄、亡くなる
ハウスメイト、アランのお兄様がおととい亡くなった。
私が一緒に住み始めた頃には、かなり病状もすすみ、
先週ぐらいからは、もういつ亡くなってもおかしくない状況であった。
アランは4人兄弟の3番目、亡くなったお兄さんと
お姉さんと彼は特に仲がいいので、きっとつらいだろうと
何度もマリアが言っていたし、私もよくマリアを通じて
よく話を聞いていたので、とても胸が痛む。
私はあまり自分の家族と仲が良くなかったので、
父が亡くなってはいるが愛する家族を失うという
経験をしたことはない。
果たして自分がアランの立場にたったとき、
どう受け止め乗り越えるのか想像がつかない。
マリアもアランも70歳くらいだ。
二人はこれから歳をとっていく私にとってのすごくいい、
ロールモデルだ。二人は毎日、食卓で、ニュース、政治、
環境問題、本、映画、そしてテニスの話に至るまで、
何時間も話をする。そして、よく笑う。
健康のために食事と運動には特に気を使っている。
二人は恋愛関係にはない友人どうしだが(マリアには
長年連れ添ったが別れた夫、ルイがいて
アランはルイの親友で家族ぐるみの友達だ)
とても素敵な理想的な暮らしをしている。
広くて居心地のいい家で、
家族のような友人と一緒に暮らしているわけだ。
今は、そこに私も加わり、年齢的にも立場的にも
彼らのこどものような立ち位置で一緒に暮らしている。
二人は私が作るグリーンスムージーと味噌汁を
何よりも喜んでくれる。これでもう2ヶ月
一緒にくらしたことになると思うが、毎日
感謝の言葉を述べてくれるのだ。
二人はまだまだ元気だし、体力も力も私よりずっとある。
頭もわたしなどより、ずっと冴えている。
特に、マリアはものすごく強い女性だし、
基本自分の学生であった私に弱みを見せることはない。
自分の役割を知っており、貫いている。
歳をとるということ
それでも歳をとるということはこういうことなんだな、、と思う。
ときどき、マリアも私に、ぽつりと弱音を吐くようになった。
それは私が学生というよりは友人になったからというのもあると思う。
元夫、ルイとのことも時々口にするが、
先日は、アランが退職してフランスに帰ったら
どうやって暮らしていこう、、とつぶやいた。
娘たちの重荷にはなりたくないけど、一人でいる時に
何かあったらどうしよう、、と。
私は何も言ってあげられなかった。
ここに住まわせてくれるなら喜んで彼女と暮らしたいが、
それはそれで迷惑だろう。私はフランス語もしゃべらないし。。
彼女にとって、フランス語をしゃべることは
アイデンティティーの一部なのだ。
とにかく、悲しく辛いニュースが多い。
マリアのお兄さんも大病を患っているし、
親しい友人もかなり具合が悪い。
そして、マリアとアラン、家族ぐるみで何年もつ
きあっている友人がかなり進行しているガンだと
判明したばかりだ。
いい話は、孫がかわいいことぐらいで、
次から次へと辛いニュースがとびこんでくる。
それでも、二人は明るく前向きに暮らしていて
すごいと思う。彼らから人生について学ぶことは多い。
その朝の食卓
おとといの朝、いつもより遅い時間に
自分の部屋を出てきたアランは
フランス語で「彼が亡くなった」と涙ぐみながら一言。
マリアが駆け寄り彼を抱きしめた。
フランス語のわからない私も一瞬にして状況を悟った。
アランが起きてくるまで、
私は昨晩エラとした話をマリアに報告し、
二人で大声で笑いあっていたのだが、
それからは重い食卓になった。
それでも5分もするとアランは、
「それで、二人は何を楽しそうに話してたの?」と
いつもの調子で話をふってきた。
マリアもすぐ、明るく「人生について」と返事。
そして「レイ、話してあげて」、と言われたものの、
そう簡単に私は気持ちは切り替わらない。
まあ、それでも少し間をおいたあと、昨晩のエラとの話
(その話はこちら)を伝え、そこからは、まるでいつもと
同じような感じで3人で朝食をとった。
すぐパリに飛べばいいものの、彼は授業や学生のことを
気にして全員にあってからいくという。
悲しみに暮れていても責任は果たそうとするし、
冷静にいろいろ判断する。
いかにもアランらしい。本当に素晴らしい人なのだ。
マリアのお母さんが亡くなった時
それは、マリアもそうだ。私が学生の時にお母様が亡くなった。
その時も、国に帰る前に私と私が仲がいい
もう一人の学生とルイとマリアで合同ミィーティングを
行ってから彼女は出発した。
私は正直、そんな状況でも私たちに
あおうとする彼女がよくわからなかった。
そして、その時の彼女の落ち込んでいる様子は
今でも忘れられない。マリアはルイの横に静かに座り、
ルイと私たちの話を聞いていた。
責任を果たそうと言うのはわかるが、実は学生側も
かなり気を遣う。ミーティングの内容は何一つ覚えていないが、
その時のマリアの悲しそうな様子はよく覚えている。
こう言う場合は、学生も非常に気まずいし、授
業やミーティングをキャンセルしてもらった方が
ありたがったりもするのだが、一応アランには言わないでおいた。
マリアも横にいるし、やはりちょっと気まずい。
魂は海を超えて会いたい人に会いにくる!
昨日の昼、食事の席で、アランに
義理の父が私たちがボストンにいる時に亡くなり、
その夜不思議な現象を経験し、お義父さんがボストンまで
私たちに会いにきたのだと結論付けた話をした。
お兄さんも今ここで私たちと食卓を囲んでいるかもよ。。と。
その話はアランもうれしかったようだ。
多少でも慰めになったのなら私としても、うれしい。
それでも、マリアもアランもどうも私の話は信じてないようだった。
一方、私はおおまじめで、人は亡くなると
海を超えて会いたい人に会いにくると信じて疑っていない。
飛行機のチケットもいらないし、
なぜだか会いたい人のいるところがわかるのは
すごいなあ、、と当時思ったのを覚えているし、
今も私はそう思っている。