学者の仕事はどんなものだろう(2)
この記事は、学者の仕事とは(1)の続編である。
私が考える学者の仕事には、以下のものが含まれる。
- 研究
- 学会発表
- 執筆
- 雑誌に論文を掲載
- 論文や学会要旨の査読委員としての仕事
- 科研費などのファンドに応募する
- 大学で教える
- ゼミなどにおける学生指導
- 入試業務・大学のもろもろの委員会活動
- 学生の推薦状を書くなどの雑務
この記事では、上記の4から6について説明したい。
3までは、こちらの記事を参照
雑誌に論文を掲載してもらうために
研究し論文を書き上げると、やっと
雑誌に論文を投稿するというステップにすすめる。
論文を書き上げたら(もしくは書く前に)
どの雑誌に投稿しようか考える必要がある。
自分の論文の内容との相性や、査読委員の傾向や、雑誌の難易度など、
いろいろな点を考慮しないといけない。
そして書き上げた論文の体裁を
その雑誌のものに直し、カバーレターを書いたりして、
オンラインで提出する。
その際、この人には査読してもらいたくないという人と
この人にできれば査読してもらいたいというのを大概聞かれる。
好き嫌いの問題ではなく(正直それもあるが)
自分の論文の内容を正当に評価できるだけの知識が
あるかどうか。また、以前にすでにその論文を読んで、
フィードバックを与えてくれている人などは、
外さないといけない。分野が違う友人や、
アドバイザーなどに頼むのもだめだ。
その後、数ヶ月後に三人ほどの査読委員からの
フィードバックが、合格、不合格、直して再提出などの
決定とともに通知される。「全くの直しなしで合格」
というのは、まずない。
査読委員もプライドがあるので、何ひとつ指摘なく、完璧ですね、、
というレビューはありえないだろう。不合格なら、
そのフィードバックを参考に論文をなおし、
もう少しレベルを下げた雑誌にあらためて提出する。
直して再提出なら、査読委員がくれた批評をもとに論文を直して、
再提出する。この直すプロセスも、かなりストレスフルである。
最後に、所属を加えたり、体裁を手直しして完成版の論文が
出版されるわけだ。業界によっては、自分でお金を払って、
出版することになるところもあるようだが、
私はそういう雑誌に出したことはない。
学会誌など、学会発表が許された点で、
審査が済んでいるとみなされ、特に直しも審査もなく
出版できるものはいいのだが、雑誌はそうはいかない。
査読委員としての仕事
雑誌の編集者から、自分の専門分野に関係がある論文を
査読するよう頼まれたりする。匿名だし、時間もかかるし、
お金がもらえるわけではないので、全くのボランティアだ。
断ることもできるが、自分の恩師や友人が編集者だと、
頼まれれば断りずらい。日本人同士のしがらみなら、もっとそうだろう。
幸い私は、日本のしがらみがいないので、その点助かっている。
査読は、自分が学者として成功すればするほど、有名になればなるほど、
頼まれる。先ほど、雑誌に投稿するときに希望する査読者を聞かれると
書いたが、そのときに名前が浮かぶのが名前を知っている人で、
その人に頼む理由も正当化しやすいからだ。
MITを出ている同じ大学の先生は、査読に追われていると言っていた。
こういう話を聞くと、有名じゃなくて良かったとほっとする自分がいる。
しかし、我々学者には、査読をし、業界を発展させる義務がある。
それなりの大学を出て、それなりの教育を受けている以上は、
業界に貢献しないという責任を感じる。
とはいえ、私はいつも雑誌に不合格にされるので、
最近は、もうあまり引き受けるつもりはない。
いつも迷って引き受けてから、負担になり後悔するのだ。
査読する際に、あらためて他の論文も読んで確認したりして、
学ぶこともあるが時間もかかるし、責任もストレスも多い。
悪いけど、正直、出版している人たちの間で、
査読しあえばいいじゃん、、と思わなくない。
が、そんなことを言ったらおそらく先生たちには
こっぴどく怒られるので、おおっぴらには、言えない。
リサーチファンドに応募する
私の専門分野は、言語学の中でも、お金があまりかからない分野だ。
フィールドワークをする場合はお金が必要だが、実験をあまり行わない場合は
それほどお金がかからず、それこそ理系の分野とは違う。
ということで、私はあまりファンドに応募したことはない。
大学院時代にマリアと応募したのと、以前に科研費で応募するときの
グループの一員にいれてもらったことが一度あるだけだ。
結局はどちらも通らなかったので、ファンドの応募に関しては
あまり参考になる話はできない。応募する際には
リサーチの内容やお金をどういったことに使うかなどの
予定を細かく書いて応募することになる。
リサーチファンドがとれたら、
学会発表、論文発表などを行い、成果を報告する義務がある。
まあ、大金をもらっているのだから当然のことだが、
それはそれで結構大変である。
しかし、大きな予算がとれれば、自分の代わりに他の人を雇って、
大学の授業を任せてしまうことができる。
そして、その分の時間を研究に費やせるというわけだ。
日本は、研究しているにしろ、していないにしろ
大学の授業のコマ数という点では、負担は平等だ。
私の大学では、教授は年5コマ教えることになっている。
でも、オーストラリアの大学で教えている友人によると、
あちらでは、リサーチをしてない場合は授業の比重が重くなる。
要は、リサーチの予算で人を雇い授業のコマ数を
減らしているのだろうが、何コマ教えているか聞くだけで、
その人がリサーチアクティブか否かがわかってしまうわけだ。
日本は、どれだけ研究しているかということに対する締め付けがないし、
海外のように、どの雑誌に論文を掲載したから何点、
どういうファンドをとったから何点
などというポイント方式で計算してはいない。
諸外国よりは悪く言えば遅れている、よく言えばのんびりしているので、
一度日本のぬるま湯環境に慣れると、外国ではやっていけない。
しかし、油断してはいけない、
遅かれ早かれ、日本も、そういうポイント制が導入され、
リサーチアクティブじゃないと昇進はもちろん、
給料が下がったり、教える授業が増えたりして
研究していないと後ろ指をさされる状況になると思う。
願わくば、私が定年してからそうなってほしいものだ。。