学者に必要な資質:メンタルの強さ

@ロサンゼルス

批判に負けないメンタルの強さ

学者という仕事に必要な資質はいろいろあるが(こちらを参照)
学者として成功するための、何より大事な資質は、

批判を受け入れることができ、折れないメンタルの強さ。

私は、ナイーブな性格で、傷つきやすいと自覚している。
それが学者としてのキャリアに明らかにマイナスに働いている。
よく言えば、人の痛みに寄り添えるし、エンパシー力が高い、
だが、それはこの仕事においては必要なスキルではない。

果たして、メンタルの強さが、資質なのか
習得できるスキルなのかよくわからない。
でも、常に、強くなりたい、強くならないととは思っている。

大学院でもメンタルの強さは必要?

メンタルの強さは海外の一流大学院で博士号をとろう
と思うなら必要だ
。あ、でも、一流大学の授業内容と
学生が自分にとっては、二流、三流大学程度にしか
感じないくらい本人が優秀な場合は
必要ないだろう。傷つけられることもない。

修士号を取るためにボストン大学に行った時は、
メンタルの強さの必要性を感じたことが一度もなかった。
そこでは、優秀と思われ、常に評価されていたふしがある。
しかし、UCLAに来たら状況は一変した。

周りが優秀すぎて、ぜんぜん追いつけない。
よく覚えているのは、入学して少し経って、
同期の韓国人の学生が、言語習得の授業の
休み時間に私の席にきて、泣き出したことだ。

自分は、韓国ではいつも一番できたのに、
ここは、難しすぎてついていけないと
分かるよ、よーく分かるよ!と思いつつ、私の方が、かなり年上だったので、
一緒に泣きはしなかったものの、必死に彼女を慰めたのだった。
アジア人には、言葉と文化の壁も大きい

大学院時代に傷ついた思い出は、数えられないほどある。
そのエピソードの一つはこちらの記事に。

ナイーブな私は、自分に起きたことでなくても、
深く傷ついたものだ。マリアも、相当ひどかった。
例えば、学生の発表が、価値がないと判断した時点で、
授業の途中でも席をたって出て行ってた。当時は人としてどうかと思ったが、
今は、彼女のそういうところも、嫌いではない。

日本の文化からは理解できない、歯に衣きせないものいい。
推薦状を頼んでも断るし、かなり露骨に推薦してない感じの推薦状を書く。
日本じゃ、ありえないな。みんなそれなりに、適当にいいことを書くと思う。
しかし、今は私も嘘は書かないことにしているので、
先生方を見習い、よく知らない学生の推薦状は断る。

メンタルの強さが必要な時

いろいろな機会に、メンタルの強さが問われる。

自分の研究や書いた論文が批判されるのは、
自分が大事に育てた子供が批判されるようで、
なかなかきついものがある。しかし、それを正面から受け入れ、
研究をさらに発展させる必要がある。

学会発表の質疑応答の席で

学会発表をしたいと思ったら、まず研究の要旨を送り審査されるのだが、
「もし、君が正しいなら、とっくに俺たちが解明していた」
プロらしからぬレビューをもらい、落とされたことがある。

また、学会発表の質疑応答の場で、ひどい質問をされることもある。
私が驚いたのは、次のような質問、というか文句だ
「君の研究は過去の研究をなぞってるだけで、
まったく新しく貢献がないが、それに言うことはないか? 」
そこまでいう?と驚いた。

その発表者はとても冷静に、自分は、そうは思いません。
こういう点に貢献していますと答えていて、
立派だなあ。と思ったのを覚えている。
自分が彼の立場なら、同じように対応できたかは定かではない。

雑誌に論文を発表しようとする際に

論文を出版するプロセスでも、強いメンタルが必要とされる。
私は、いつもこのステップでつまずく。

学会誌など、特に直しも審査もなく出版できるものは
いいのだが、雑誌はそうはいかない。

この記事にも書いたように、論文を雑誌に送ると、
合格、不合格、直して再提出、などの判定が下され、
問題点、直した方がいい点などのコメントや
フィードバックとともに送られてくる。

上にも書いたが、論文は、自分が時間をかけて育てた
子供のようなもので、それがひどく批判されるのは、
なかなかこたえるのだ。

私は、一度、不合格通知で、
パニックの発作が起きそうになった
こともあった。
朝不合格のメールを受けった日の午後、授業を行なっている時に、
息が苦しくなって、結局授業を早めに切り上げてしまった。
後から考えると、原因は、朝の不合格メールしかない。

一方、さすがにマリアは、ものすごく強い。
査読委員のフィードバックもその場で冷静に読み、
これは関係ある、これは相手が間違ってる、などと整理し、
すぐに直しに取り掛かれるタイプだ。

私は、不合格の場合は、数日はおかないと
フィードバックも読めないタイプだ。
情けないが十何年たった今でも変わらない。

先週も、マリアにわけのわからないレビューをもらって、
これは無理だとあきらめて、そのまま放置し出版していない論文の話をした。
そういう時は、編集者に、なぜこのような査読委員を使うのかと
抗議しなさい。強くなりなさい。と言われたが、相変わらず私には難しい。

就職活動もかなり厳しい。狭き門だ。
落とされることが日常茶飯事だ。

要は、大学院の受験に始まり、学会も、雑誌への投稿も、
就職も落とされ、否定されることが連続の仕事なのだ
メンタル弱いととてもやっていられない。

まあ、いろいろ書いたが、私のようなかなり普通の人でも
一流大学で博士論文を書き上げて就職するまではできるということだ。

私は、自分が学者になるなどとは夢にも思ったことがなかった
そのため、みなさんも、はじめから、自分には無理と決めてかからず、
ぜひ、博士号が気になる人は目指してほしい。

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